海外トピック&コラム
アジアの話や現地の原材料のこと、生産の様子など伝えます。
2006年5月26日金曜日
2006年5月22日月曜日
BANJIR LUMPUR PANAS(熱い泥の洪水)天災、人災?
インドネシアは石油、天然ガスを初め、石炭、ボーキサイトなど様々な天然鉱物資源に恵まれ、さらに世界有数の熱帯雨林の森には、豊富な木材資源、そして2億人以上の人口を有する東南アジアの大国として、その経済発展潜在能力は高いと言われ続けてきたが、経済発展の現状は他の近隣諸国に大分遅れをとっているように思われる。
近年はアチェの大津波、去った5月のジョグジャの地震そして同じく中部ジャワのメラピ山の噴火等の数々の自然災害に見舞われている。これらの自然災害は火山地帯のインドネシアの宿命とも思われ、その後の援助対策等の整備が非常に重要な課題だと思えるが、これらの災害復興に対する、政府の援助予算の執行、外国からの援助金が被災者に届かない等、色々問題が生じているの良く知られている事である。
去った6月7日に東ジャワ州のパスルワン県の協力工場へ行く途中の高速道路の上の陸橋に多くの人だかりがあった。話を聞くと石油かガスが噴出している模様との話だ。思えば数ヶ月前より高速道路のすぐ横に櫓が立ち何かの掘削が始まったのは見かけていた。さすがインドネシア資源大国、こんな所でも石油、ガスが出るのか思いながら現場を通過した。
それから約1週間後再び工場に向かうため先日の現場近くに来ると高速が閉鎖され入れない。話を聞くと現状は全く治まって無く、毎日約5千立方以上の泥が噴出し続け、2つの村を覆い、そして近隣の水田100へークタール以上を埋め、高速道路を乗り越えて被害は拡大しているらしいとの噂であった。このような現状が明らかになるまでマスコミでの被害の報道は殆ど無かった。
東ジャワの工場地帯のパスラワン県そして高原都市のマランへの大動脈が切断され迂回路を求めた自動車で近辺の村々で大渋滞を引き起こす段階になりマスコミでも報道される様になった。しかし安全対策、責任の所在を追及する報道は殆ど聞かれない。事態を引き起こした掘削会社は土着民族系の最大の財閥系の1つで、現在の政府の有力な閣僚の一人を出している。
これだけの被害を出しながら警察、政府から責任追及の声が上がらないのは何故かと非常に不思議ではあるがインドネシア人に聞くと“ここはインドネシアだから”との返事が返ってきた。全く釈然としない答えだがインドネシアでの我々の日々の仕事、生活体験からすると妙に納得したくなる。これもインドネシアでは有りである。
現在も泥の噴出が収まる気配がない。(最新の情報によると、2006年7月4日現在126ヘクタールが熱い泥に覆われ、その中には17の学校と15の工場がある。)そして有効な対策の方法も打ち出せず、被害地域は拡大し続けているが安全対策、責任追及、被害の補償等に対する話はまだ殆ど聞えない。
インドネシアの石油事情
アジアは世界中の石油の1割を産出して、現在、世界の消費量の3割を消費している。
これはこれからも増加傾向にある。
中国が巨大消費国へと転換するのが大きな理由の一つであるが、アジアの石油の消費量は年々増加中だ。
アジアのひとつ、インドネシアは原油産出国であるが、原油の産出に余裕のある頃に自国の経済を促進させるために自国での市場販売価格を低く抑えた。
原油価格が多少上がってもその差額分を国が補填しつづけてきた。
そのかいあって、国民にはガソリンやディーゼルなどの石油燃料を必要とするオートバイや自動車が広く普及した。
しかし、現在はこれが大きな政治問題の一つとなっている。その理由は原油価格が高騰したのが最大の理由であるのだが。
政府はその政策の転換を迫られることになってきた。
その差額分の補填額が重くのし掛かってきた。
現在のガソリンの仕入れ価格は全世界なみでほぼ一緒だが、国内に向けて販売する価格は安く設定してある。
その差額が大きく開き国の予算を圧迫するのだ。
インドネシアのあちらこちらでガソリンが不足し始めた。
石油の供給が間に合わず電力を24時間供給ができない発電所が出始めた。
わが社の協力会社のひとつ、工場、オーナーから連絡があった。
インドネシアのスラウエシ島では最近電気の供給がままならなくなった。
日中の2時間程度と夜間の2時間程度と停電するのだ。
しかも5月になってから毎日らしい。
これ以上、悪くならないか深刻である。
イラク戦争で国際的に原油価格が高騰し、世界中のあちらこちらへ影響しているのが実情である。
実際に戦争はなんのためにしたのかそれさえも疑問である。
そして、戦争にいい戦争も悪い戦争もないはずである。
イクサ(戦争)はイクサ(戦争)なのである。
2006年5月11日木曜日
バウバウのウヲリオ王国の要塞跡
インドネシア、東南スラウェシ州のブトン島はスラウェシ島の東南の半島に接した島で、面積は約4200Km2(沖縄の約1.5倍)、人口約25万で南北に細長く、細いブトン海峡を隔てて西側のムナ島と向かい合っている。行政的には南の半分はバウバウ県に、北半分はムナ県となっている。
ブトン島、バウバウ県の県都がバウバウ市であるが現在はなんの特色もない静かな港町である。バウバウはかつてスラウェシ島の中心都市マカサルと香辛料諸島を結ぶ海上交通の中継の要所としてブトン島とその周辺を支配するウヲリオ王国の中心地として栄えたといわれ、そのウヲリオ王国が400年以上も前に築いたと言われる珊瑚を積み上げた石積みの要塞がブトン水道を見下ろす丘の上にある。その外壁が丘の麓を囲み城壁の延長は数キロもある。
現在は、王国の末裔であるサルタンの子孫が城壁内に居住し、一帯を公園として管理している。インドネシア各地に散在する要塞遺跡の殆どはヨーロッパ人の建造であるが、今回はインドネシアでは珍しい土着の王国が建造し、現地ではクラトン:王宮と呼ばれているバウバウ要塞跡を紹介する。